香港在住2年。素人で申し訳ないと思いつつ、自分で翻訳した海外ドキュメンタリーを日本の方に見てもらいたいとニコニコ動画で配信中!!
日本放送のものは他人がUPしたものを添付しています。
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- 08/23 西安旅行トラブル&翻訳UP 古代ローマ シーザーとネロ
- 08/05 プラネット・エジプト トトメス編 6 of 12
- 07/31 プラネット・エジプト 5 of 12 トトメス編
- 07/16 プラネット・エジプト トトメス編 4 of 12
- 07/12 アトランティスの証明 4 of 4
- 07/10 アトランティスの証明 3 of 4
- 07/03 アトランティスの証明 2 of 4
- 06/29 アトランティスの証明 1 of 4
- 06/23 プラネット・エジプト 歴代ファラオ ナルメル王その3
- 06/21 プラネット・エジプト 歴代ファラオ ナルメル王その2
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いやー、1時間近くのビデオを翻訳するのは、素人なので時間がかかります~。
てなわけで、翻訳している間のつなぎのブログには、おすすめの日本語のドキュメンタリーとか、本とか私が今まで旅をしてきたり、海外に住んで思ったことなどとともに綴っていければと思います。
私が東ヨーロッパ中を旅したのが北京一人旅をした次の年。。だから~28歳位です。
他の国のことはのちにまたお話しするとして、一番インパクトのあったのはルーマニアでした。ちょうど革命があってから、それほど経っていない時。治安は最悪。お隣りブルガリアとはいがみ合っていた時期。電車は国境を越えると消毒液を電車毎かける有様でした。
現在のツーリスト用HPを見るとかなり綺麗になって、観光する場所もかなりあるみたいですね。私が行った時はまだチャウシェスク政権が革命によって滅ぼされてから間もなくのこと。
私の世代はルーマニアと聞くとオリンピック体操ゴールドメダリストのコマネチなんですが、それよりも革命時の映像が目に焼き付いて離れません。今でもその当時の映像はYoutubeで見ることが出来ます。街を歩いていても、人々に活気の一つすらありませんでした。目は鋭く、公園には子供たちが溢れかえっていました。孤児および捨子たちです。
チャオシェスクの妻は悪女で有名なのですけど、生活が厳しかった人々に子供をたくさん作れと、子供が出来たらお金を貰えるので、親たちは作るだけ作って面倒はみないわけです。殺す親もいたそうです。そんな悪の政権の傷跡が、私が行った時はすごい状態でした。
一緒のツアーの方と朝の散歩と思って、公園に行きましたが朝にも関わらず、山のような子どもたち。一瞬で危ないと思いましたね、可哀そうとか言ってられません。すぐにホテルに帰りました。
他の国は一人で買い物したりできたのですけど、ルーマニア(ちなみにROMANIAと書いて、ローマ帝国の領地名が残っています)の首都、ブカレストだけは無理でした。
その後心理を学び、虐待を自分のテーマに決めた時、真っ先に思い出したのがルーマニアの風景。
下に紹介してある本は、それから15年以上もたってからのもの。。土管に住む青年たちは、私がみた幼い子供たちのその後なのかも知れません。
イギリスに住んでいる時、ルーマニア人が電車の底に張り付いてかなり不法入国しているというニュースが流れていました。その後は、地下鉄の出入り口などで物乞いになるケースが多いです。ロンドンを観光された方は見たことあるかも知れませんね。
てなわけで、翻訳している間のつなぎのブログには、おすすめの日本語のドキュメンタリーとか、本とか私が今まで旅をしてきたり、海外に住んで思ったことなどとともに綴っていければと思います。
私が東ヨーロッパ中を旅したのが北京一人旅をした次の年。。だから~28歳位です。
他の国のことはのちにまたお話しするとして、一番インパクトのあったのはルーマニアでした。ちょうど革命があってから、それほど経っていない時。治安は最悪。お隣りブルガリアとはいがみ合っていた時期。電車は国境を越えると消毒液を電車毎かける有様でした。
現在のツーリスト用HPを見るとかなり綺麗になって、観光する場所もかなりあるみたいですね。私が行った時はまだチャウシェスク政権が革命によって滅ぼされてから間もなくのこと。
私の世代はルーマニアと聞くとオリンピック体操ゴールドメダリストのコマネチなんですが、それよりも革命時の映像が目に焼き付いて離れません。今でもその当時の映像はYoutubeで見ることが出来ます。街を歩いていても、人々に活気の一つすらありませんでした。目は鋭く、公園には子供たちが溢れかえっていました。孤児および捨子たちです。
チャオシェスクの妻は悪女で有名なのですけど、生活が厳しかった人々に子供をたくさん作れと、子供が出来たらお金を貰えるので、親たちは作るだけ作って面倒はみないわけです。殺す親もいたそうです。そんな悪の政権の傷跡が、私が行った時はすごい状態でした。
一緒のツアーの方と朝の散歩と思って、公園に行きましたが朝にも関わらず、山のような子どもたち。一瞬で危ないと思いましたね、可哀そうとか言ってられません。すぐにホテルに帰りました。
他の国は一人で買い物したりできたのですけど、ルーマニア(ちなみにROMANIAと書いて、ローマ帝国の領地名が残っています)の首都、ブカレストだけは無理でした。
その後心理を学び、虐待を自分のテーマに決めた時、真っ先に思い出したのがルーマニアの風景。
下に紹介してある本は、それから15年以上もたってからのもの。。土管に住む青年たちは、私がみた幼い子供たちのその後なのかも知れません。
イギリスに住んでいる時、ルーマニア人が電車の底に張り付いてかなり不法入国しているというニュースが流れていました。その後は、地下鉄の出入り口などで物乞いになるケースが多いです。ロンドンを観光された方は見たことあるかも知れませんね。
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