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香港在住2年。素人で申し訳ないと思いつつ、自分で翻訳した海外ドキュメンタリーを日本の方に見てもらいたいとニコニコ動画で配信中!! 日本放送のものは他人がUPしたものを添付しています。 ★中国の規制で見れない時は、ブラウザーをChromeにして拡張設定でunblockを選択して下さい。★
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 いやー、1時間近くのビデオを翻訳するのは、素人なので時間がかかります~。
 てなわけで、翻訳している間のつなぎのブログには、おすすめの日本語のドキュメンタリーとか、本とか私が今まで旅をしてきたり、海外に住んで思ったことなどとともに綴っていければと思います。

 私が東ヨーロッパ中を旅したのが北京一人旅をした次の年。。だから~28歳位です。
 他の国のことはのちにまたお話しするとして、一番インパクトのあったのはルーマニアでした。ちょうど革命があってから、それほど経っていない時。治安は最悪。お隣りブルガリアとはいがみ合っていた時期。電車は国境を越えると消毒液を電車毎かける有様でした。



現在のツーリスト用HPを見るとかなり綺麗になって、観光する場所もかなりあるみたいですね。私が行った時はまだチャウシェスク政権が革命によって滅ぼされてから間もなくのこと。



私の世代はルーマニアと聞くとオリンピック体操ゴールドメダリストのコマネチなんですが、それよりも革命時の映像が目に焼き付いて離れません。今でもその当時の映像はYoutubeで見ることが出来ます。街を歩いていても、人々に活気の一つすらありませんでした。目は鋭く、公園には子供たちが溢れかえっていました。孤児および捨子たちです。



 チャオシェスクの妻は悪女で有名なのですけど、生活が厳しかった人々に子供をたくさん作れと、子供が出来たらお金を貰えるので、親たちは作るだけ作って面倒はみないわけです。殺す親もいたそうです。そんな悪の政権の傷跡が、私が行った時はすごい状態でした。

 一緒のツアーの方と朝の散歩と思って、公園に行きましたが朝にも関わらず、山のような子どもたち。一瞬で危ないと思いましたね、可哀そうとか言ってられません。すぐにホテルに帰りました。
他の国は一人で買い物したりできたのですけど、ルーマニア(ちなみにROMANIAと書いて、ローマ帝国の領地名が残っています)の首都、ブカレストだけは無理でした。

 その後心理を学び、虐待を自分のテーマに決めた時、真っ先に思い出したのがルーマニアの風景。
下に紹介してある本は、それから15年以上もたってからのもの。。土管に住む青年たちは、私がみた幼い子供たちのその後なのかも知れません。

 イギリスに住んでいる時、ルーマニア人が電車の底に張り付いてかなり不法入国しているというニュースが流れていました。その後は、地下鉄の出入り口などで物乞いになるケースが多いです。ロンドンを観光された方は見たことあるかも知れませんね。


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 去年日本で放送したものです。まだ、夏王朝の存在が100%と決まったわけではないですし、一応そうゆう見解で中国の学者たちが研究を続けているという気持ちで見て頂ければ、後日もし違うものが出てきても混乱することはないでしょう。

 多分削除を避けるために細かくUPして下さっていますので、ご覧になっていなかった方は番号順に見て行って下さい。ここでは、全部の最初の1-1を張り付けただけですので、後はYOUTUBEにアクセスしてみて下さい。このブログはYOUKUとかTUDOUの埋め込みが残念ながら出来ないみたいなので、どうしても必要な時はリンクを貼ってお伝えしたいと思います。
 
 昨日のブログで黄帝のことを少し書いてますが、他の方のを読んでみると今のところ伝説で書によって色々な書き方をしているので人によって黄帝と炎帝が兄弟だったり、ライバルだったりと、勉強を始めた人は混乱するかも知れないですね。
 ようは、はっきりしてませんので(汗)いろいろな説が流れているのねと思って下さいませ

 黄帝についてのビデオは、北京放送でやったのが人物像を追ったもの(中国語なので英語より翻訳時間がかなりかかるかと。。)、CCTV Internationalがやった遺跡さがしと今のところ2つしか見つかっていません。もちろんショートドキュメンタリーとしてはあるのですけど、重なる内容が多いので。

 

 夏王朝も商(殷)王朝も最後は美女に振り回されて駄目王となって滅びてますけど、実際はきっと違うのだろうなと(あまりにも似すぎた話が多いので、人の記憶の中でまぜご飯になっている部分がきっとあると思ってます)。色々分かってくるのが楽しみです。ただ、分かっていても発表できないみたいなものもありそうで。。うーん深いですな。


 上記の絵は中国古代の司馬遷「史記」最初に登場する人物、黄帝および黄帝陵(後に建てられたもので実際のお墓ではありません)です。実際の人物であり、中国人はすべてこの2人の子孫(黄帝の子が姫姓、炎帝の子が姜姓)だと学校で教えられています。ゆえに中国人はどこに住んでいようと一つであるというわけです。

 中国は最近、古代中国の遺跡を発見するのにかなり力を入れているように感じます。殷がユネスコ登録されたので、こんどはその前の夏王朝(NHKでも特番しましたよね。見ていない人はYOKUから今のところ見れます)、そして黄帝の都だった場所の特定というわけです。

 今まではメソポタミアが最古の文明とされてきました。いやいや、中国の方が断然古いのだよと、私がみたドキュメンタリーの考古学者たちは口を揃えて言います。黄帝の時代がBC5000年ですし、黄帝は、食糧・医療(シュメール人のような外科的なものではなく、多分漢方)・馬車などをつくった人とされていて、それが本当であり、新石器時代の遺跡から証拠となるもの(特に文字でしょうね)が出土すれば、一気に中国は最古の文明、Civilizationとなり歴史が塗り替わるわけです。

 一番に結構固執しているなと感じますけど。最初から一番だったのではないかなと歴史を勉強して思っています。賢人が残した言葉などは、聖書より前に書かれていて、神がこうしなさいああしなさいではなく、「人として」を問うた素晴らしいものが多々あります。まあ、それに反して戦いを決着方法と選んできたのは、どの国見ても、今昔変わらないですけどね。。

 世界的に古代も含めて歴史が流行っている気がします。日本だけじゃありません。ホモサピエンスのルーツも最近かなり発見されていますし、古代エジプトが人々を酷使していなかった事実も最近になってわかってきてます。面白いです。本来の国のあり方、人としてのあり方が世界の歴史、特に古代から見つかるのではないかと勝手に思っています。

 まあ、私が外側からがやがや言っても仕方ないので、今翻訳中のビデオを少しづつUPし、その上で歴史部分のブログは続けていこうと思います。
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